あれから半年、まだまだ半年
あの大震災から、半年が過ぎた。
実に多くの犠牲と、拭い去りようのない悲しみをもたらしたあの日から、
人の良きところと悪しきところを、これ以上ないくらい浮き彫りにした日々が過ぎ、
10年前の悪夢と重なる節目の日を迎えた。
両親や姉弟との連絡が途絶えていた直後の4日間も、現地対策担当として大船渡に赴任した2か月間も、今となっては遠い昔の出来事のようにも思える。
東京に暮らし、目の前の仕事に向き合うほど、まるで被災地とは違う時間軸があるかのように、あっという間に一日が過ぎていく。
それでも、私の心は、あの変わり果てた故郷から、思い出多き人々から、離れることはない。
5月末に東京に帰ってから、私は不眠とフラッシュバックに悩まされ続けた。
現地赴任の2か月間、私は助手役の弟とともに被災地をくまなく走り、避難所に毎日通い、できるだけ被災者と向き合おうとした。5000kmオーバーの走行距離、延べ400か所の訪問先、「いつでも連絡ください」と渡した名刺は500枚を超えた。その結果の代理受傷、思った以上に重い外傷性ストレス障害だった。
周囲の支えのおかげでほぼ全快したのは8月初旬。その間は、また被災地に行こうと思っても、怖くて足を踏み出せなかった。
その分、東京でできることをと、現地支援のお願いにまわりつつ、被災地出身者でつくる支援団体のサポートをし、現地支援でお世話になった自治体に事業仕分けで訪れた際には、繰り返し頭を下げた。
もちろん、いまの仕事いまの立場に全力投球しつつ、できることは最大限に、と。
それでも、被災地から離れていることに忸怩たる思いがあった。
それは、すっかり元気を取り戻したいまも変わらない。
5年10年かかることを、2、3か月でしようさせようなどという楽天家では決してないけれど、それでもまだまだ足りない。
現場から離れていることが、もどかしくてたまらない。
その気持ちを抑えながら、一日一日歩みを進めることが、こんなにも辛いのかと改めて思わされた。
私にできることは何だろうか。
私は何を為すべきなのだろうか。
今まで以上に、自問自答を繰り返してきた。
ひとつの答えは、評論家ではなく、現場に立っていたい。
あれから半年。
だけど、まだまだ半年。
これからが、本当の戦い。復興への長い長い道程の、まだほんの助走。
この国の再生と被災地の復興が、最短のコース取りかつ最高速で駆け抜けられるよう願いつつ、自分自身のハイパフォーマンスを出し尽くしたい。
追伸:
アップ直前のうれしい知らせ。
陸前高田の市議会議員選挙で、急遽出馬を決めた佐々木さんがトップ当選。
事務所なし・選挙カーなし・ポスターなしの表明で強く引き留めたけれど、その決心と今までの心遣いが票を呼び寄せたのだと、自分のとき以上にうれしく思う。
「副社長、これからが本番。ここからが本当の勝負だよ。何があっても頑張っていこうね!」
不悉
